最終更新日2022/10/31

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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❖極め人に聴く❖24

国を護る指揮官の心得

海上自衛隊 第26代 海上幕僚長

古庄 幸一(ふるしょう こういち)

──古庄さんは第26代海上幕僚長を務められました。そのご経験をお伺いしたいです。まずは生い立ちをお伺いできますか。

古庄 私は大東亜戦争の終戦の翌年、昭和21年に、九州の大分県で生まれました。竹田市の隣の大野郡というところです。家は小さな農家で、非常に貧しかったように思います。逆子の未熟児で、紫色で生まれたときは息をしていなくて、産婆さんも一度諦めたそうです。金ダライに出したときにわずかに「ふにゃ」と声をあげたそうです。それで、捨てられずに一命をとりとめました。「あの時泣いていなければ、あんたは生きてなかったよ」と後で言われました。しかしそこからはすくすくと育って、飼っていた牛と鶏からとれた牛乳と卵のお陰で、体も大きくなりました。

──物心ついたときには、戦後の時代という空気はありましたか。

古庄 ありませんでした。実際は親も親戚も苦労していたんだろうと思いますが、正直分からないまま育ちました。幼稚園もない、給食もない時代でしたが、貧乏ながらも楽しく育ちました。小学校に上がる頃にはもう健康優良児で、中学校からバレーボールに打ち込みました。  高校は隣の竹田市の高校に通います。三年間、担任は同じ先生でした。古典の先生で、その先生の教えが今も心に残っています。先生の影響や、友人たちの影響も相まって、本をたくさん読みました。

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政治家の心得─万機公論に決す(5)

夢や希望を感じられる政治へ

衆議院議員 日本維新の会 代表

馬場 伸幸(ばば のぶゆき)


政治との出会い

──高校をご卒業後、コックとして働かれていた経歴が話題になっています。そこから政治を志されるきっかけは何だったのでしょうか。

馬場 若い頃からの夢で飲食業の青年実業家になろうと思っていて、自分で調理できなかったらカッコ悪いなと思い、コックになりました。そして3年が経った頃、商売をするなら社会勉強をしないといけないと思いました。ただ、まだ21歳でしたから何が社会勉強になるかわからなく、両親にも相談していたのです。そんなある日、母親の店に来てくれていた市会議員の方から中山太郎先生が参議院から衆議院に鞍替えし、大阪の泉州5区から出るので、地元出身で活きがいい秘書候補を探している、ということで私に声が掛かったのです。ただ最初にそれを聞いた反応は、今の若い子と一緒です。政治のセの字も知らない私に秘書ができるのかと不安でした。市会議員の方とも直接お話をして、本当に何も分かっていない私は「どうしたらできますか」と聞くと、「根性や」と言われ、根性だったら負けないと思い、秘書にしていただきました。

──実際に秘書になられて苦労されたのですか。

馬場 最初は真面目に朝一番に事務所に行って先輩の机の上を全部拭くなど、事務所の掃除などをしていました。コックとして働き始めた頃と同じで、いきなり調理はさせてもらえませんから、秘書も最初はそんなものだろうとやっていました。そこから代理でお葬式などに行ったり、運転手をさせてもらったり、一歩ずつ色々な経験をさせてもらいました。 1989年8月、海部内閣ができて、中山先生は外務大臣になりました。あの頃湾岸戦争やソ連崩壊、東西ドイツの統一など、物凄く忙しい時でした。私は中山先生の随行をしていて、電話で外交の話をされていたのを横で『なるほど』と聞いていたのですが、なんとその話が次の日の新聞に載っているのです。歴史を動かしている人の傍で勉強させてもらっているのだと、とても感動したのを覚えています。

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「カレント」は賀屋興宣(元蔵相・衆議院議員)が昭和39年、左右に偏することなくアメリカ合衆国を盟友として、自由主義社会であるわが国に、正しい世論を喚起することを目的に創刊。政治・経済・防衛・外交・教育を正しく導く論を広く求め、かつ訴えつづけている。カレントの意味は[潮流」。昭和61年には木内信胤(元世界経済調査会理事長)が継承。その間、福田赳夫元総理が維持会世話人代表をされ、根岸龍介が社長として行ってきたが、厳しい環境もあり77才を期に退任する。平成10年6月、潮流社がこの精神を受け継ぎ、日本再生のための潮流を起こす言論活動を開始。次世代のためにも日本を再創造することを広く呼び掛けている。