最終更新日2022/6/30

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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❖極め人に聴く❖23

美容と健康寿命を高め元気な日本へ

株式会社 銀座・トマト 代表取締役CEO

勝見 地映子(かつみ ちえこ)


前例にとらわれず、経験を活かす

──勝見地映子社長は「ふかひれコラーゲン」「アコヤ真珠粉末」「バラプラセンタ」「植物幹細胞」など、数々の美容と健康に重要な技術・サプリメントを開発・販売をされてきました。いまでこそ美容成分として「コラーゲン」は有名ですが、勝見社長はコラーゲンを世の中に広めたパイオニアでもあります。どのような人生を歩まれてきたのでしょうか。お生まれからお伺いできますか。

勝見 生まれは福島県いわき市です。父は地元の漁業組合の組合長をしておりました。地元で生まれ育ち、高校卒業後に上京します。徳陽相互銀行(当時)の秘書課に就職しました。その後、不動産会社の秘書を経験したのち、結婚を機に退職しました。当時の夫は遠い親戚にあたり、医者の家系で産婦人科を経営しておりました。私は産婦人科を手伝うことになりますが、私は医師ではありません。だからこそ、患者さんの食事の世話など自分にできることを探し、患者さんの気持ちになって考えることができました。

 私自身も二人出産した経験から、当時の産婦人科の妊婦の扱いに不満を持っていました。もともと美容関係が好きだったこともありますが、当時、妊婦の方に対するメンテナンスや管理は非常に悪かったのです。

──患者の立場で不満を感じたこともあった。

勝見 具体的には、出産後にお肌がガサガサになってしまう。髪が自分で洗えずベタベタするし、着替えられないので身なりを整えられないのに、急に親族がお見舞いに来てしまう。食事が美味しくない。お風呂に入れない。太ってしまうなどです。すべて自分の経験からきた不満でもありますが、これを改善した産婦人科病院を作りました。

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政治家の心得─万機公論に決す(4)

戦略的な女性登用

参議院議員 第32代 参議院議長

山東 昭子(さんとう あきこ)


田中角栄首相に請われ

──山東先生は女優、司会者としてご活躍され、テレビ番組「クイズ・タイムショック」では「クイズの女王」となりましたが、政治家の道を志されたのはどのようなきっかけだったのでしょうか。

山東 私は1972年の衆院選の前にNHKで文化人の政治討論会という番組があり、そこで自民党支持の立場で出ていました。それを当時の田中角栄総理がご覧になっていて、橋本登美三郎幹事長(当時)から巻紙のお手紙が来て、「是非選挙にでないか」という話でした。そのような経緯から、衆院選の前後で渡部恒三代議士と人を通じてお会いする機会があり、親しくさせていただいていたのですが、翌年1973年の3月に「おやじさん(田中角栄氏)が会いたがっているから、会ってくれないか」ということで角栄先生にお会いすることになりました。私も田中角栄という政治家が魅力的で、お会いしたいと思っていました。角栄先生は開口一番「どうだ、選挙やってみないか」と仰いましたが、私は「親戚などに大臣をしたものはいましたが、私は政治の勉強をしたわけでもないのでとても無理です。」とお伝えしました。すると「何を言うんだ。政治家は最初からプロは一人もいない。俺だって最初は何にも分からなかったけれども今は総理大臣までやってんじゃないか。大切なことは色んな人に会って、色んなことを吸収する能力があるかないかが問題だ。君はそういう意味で良い。モノになるには10年かかる。だから若いうちから出ないといけないんだ。応援するから、やってみないか」と仰いました。私は『そうかなあ』と思いながらも、周りが盛り上がっていきました。勿論、人気や知名度だけで勝てるものではありません。多くの方のご支援があって当選しました。また、本当に有難かったのが、角栄先生は総理大臣なのにご自分で選挙ハガキを200枚も書いて色んな所に出してくださったことや、「山東昭子を宜しく」と直接電話をかけてくださったのです。与野党伯仲の時でした。  私は当時、選挙に出るので、直前までテレビに出ていたほうが良いと思っていました。ですが角栄先生は・・・

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「カレント」は賀屋興宣(元蔵相・衆議院議員)が昭和39年、左右に偏することなくアメリカ合衆国を盟友として、自由主義社会であるわが国に、正しい世論を喚起することを目的に創刊。政治・経済・防衛・外交・教育を正しく導く論を広く求め、かつ訴えつづけている。カレントの意味は[潮流」。昭和61年には木内信胤(元世界経済調査会理事長)が継承。その間、福田赳夫元総理が維持会世話人代表をされ、根岸龍介が社長として行ってきたが、厳しい環境もあり77才を期に退任する。平成10年6月、潮流社がこの精神を受け継ぎ、日本再生のための潮流を起こす言論活動を開始。次世代のためにも日本を再創造することを広く呼び掛けている。